人身傷害保険について
1. 人身傷害保険とは
人身傷害保険とは、自動車事故で被保険者が被った怪我による損害を、被保険者の過失にかかわらず保険金額の範囲内で補償する保険です。
人身傷害保険のメリットは、大きく分けて2つあります。
1つは、被保険者側(被害者側)の過失が考慮されないため、本来自己負担となる過失分の損害も保険契約に定める範囲でカバーできる点です。
もう1つは、被保険者が契約している保険会社から直接保険金の支払いを受けることができる点です。
そのため人身傷害保険は、被害者側にも過失がある場合、加害者車両が無保険車である場合、ひき逃げに遭った場合などに有用な保険といえます。
2. 人身傷害保険の想定ケース
人身傷害保険が、賠償実務においてどのように機能するのかについて、以下の例を想定して説明していきます。
【想定ケース】
過失相殺前の損害賠償訴訟上の総損害額 5000万円
人身傷害保険の算定額 2500万円(*)
被害者の過失 20%
相手方に対する損害賠償請求の認容額 5000万円×80%=4000万円
*算定方法は一律ではなく、保険会社ごとに異なるので注意が必要です。
被害者の全損害を補償することを目的とする人身傷害保険の制度趣旨からすれば、以下のようになりそうです。
・加害者が加入している任意保険(対人賠償保険)4000万円の賠償を受ける
・人身傷害保険から1000万円の支払いを受ける
しかし、実際には人身傷害保険からの支払いが保険契約によって決定されます。そのため、人身傷害保険から保険金を受け取るのが先か、対人賠償保険から賠償を受けるのが先か等によって被害者の受けられる賠償金の総額が変わりうるのです。
A 人身傷害保険の支払いを先行させた場合
被害者が人身傷害保険から保険金を受け取った場合、人身傷害保険会社は支払った保険金の限度で被害者の相手方に対する損害賠償請求権を代位取得するとされていることが多いです。
その後、被害者が加害者の対人賠償保険に対し賠償請求する場合、被害者は相手方に対する損害賠償請求認容額から、人身傷害保険会社が代位した金額を控除した金額の支払いを受けることができます。
では、人身傷害保険会社は、どの範囲で被害者の損害賠償請求権に代位できるのでしょうか。
この問題については様々な考え方がありましたが、最高裁平成24年2月20日判決では、人身傷害保険の約款の代位条項に「保険金請求権者の権利を害さない範囲で代位できる。」との文言がある事例において、当該文言の解釈として、次のような判決を下しました。
「被害者に保険金を支払った保険会社は、保険金請求権者に裁判基準額に相当する額が確保されるように、保険金の額と被害者の加害者に対する過失相殺後の損害賠償請求権の額との合計額が裁判基準損害額を上回る場合に限り、その上回る部分に相当する額の範囲で保険金請求権者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得すると解するのが相当である。」
この判決の考え方は、訴訟(裁判)基準差額説という考え方です。
この判決に従うと、上記の具体例において被害者が受けられる人身傷害保険の保険金2500万円は、過失相殺される1000万円から優先的に充当されます。その後人身傷害保険の保険会社が、残額1500万円につき加害者に対する損害賠償請求権に代位します。
その結果、被害者の損害賠償請求権は、総額4000万円から保険金充当分1500万円を差し引いた2500万円となり、被害者の総受取額は5000万円(人身傷害保険から2500万円、対人賠償保険から2500万円)となります。
したがって、被害者の総損害額全額が回収できる結果となります。
B 対人賠償保険の支払いを先行させた場合
被害者が相手方から賠償金を受け取ったが過失相殺により損害額を全額回収できなかった場合、被害者は人身傷害保険に過失相殺された分について補填を求めようと思うのが通常です。
上記の具体例では、相手方の加入する対人賠償保険から4000万円を回収し、人身傷害保険から過失分である1000万円を回収しようということです。
ところが通常人身傷害保険の約款では、対人賠償保険の支払いを受けた後に人身傷害保険の保険金を請求する場合、人身傷害保険の保険金額から対人賠償保険等から支払われた金額が控除されると規定されています。そうすると2500万円の保険金額から、既払い額である4000万円が差し引かれマイナスになるため、被害者が支払いを受けることができる金額は0円となってしまいます。被害者は損害総額のうち過失相殺後の4000万円しか回収できません。ただし、後述のとおり、一定の場合(判決により認定された場合や訴訟上の和解等)、保険金額が過失相殺前の損害賠償訴訟上の総損害額とされる契約も増えています。
これとは別に、人身傷害保険の中には過失分払いという支払方法を定めている保険会社もあります。
過失分払いとは、人身傷害保険の保険金額を基準として被害者の過失分の保険金を請求するものです。この場合には、対人賠償保険等からの既払い額を差し引かれることはありません。
したがって、今回の事例では2500万円の保険金額を基準とした被害者の過失分(20%)である500万円の支払いを請求することができます。
それでも合計4500万円(対人賠償保険から4000万円、人身傷害保険から500万円)の支払いを受けられるに過ぎませんので、損害総額の全額を回収できることにはなりません。
過失分払いがある場合でも総損害額の全額を回収することはできず、人身傷害保険から先に回収した場合と、加害者の対人賠償保険から先に回収した場合とで、結論が異なり得る不均衡な状況が生じています。
このような不均衡は妥当ではないため、対人賠償保険を先行させた場合でも訴訟基準差額説に基づいて保険金が支払われるべきだという考え方も強く主張されています。しかし結局は人身傷害保険の約款の解釈の問題であるため、現在の賠償実務ではどちらを先に回収するかで回収額が異なることもやむを得ないと判断されています(大阪高裁平成24年6月7日判決など)。
3. 約款の改定
上述した平成24年2月20日の最高裁判例を受けて、人身傷害保険の約款が改定されている保険会社もあります。
人身傷害保険先行の場合も対人賠償保険先行の場合も、判決や訴訟上の和解等で損害総額が確定した場合には訴訟基準差額説をとる旨を規定する約款や、人身傷害保険を先行した場合でも被害者の損害賠償請求権に全額代位する旨を規定する約款など、人身傷害保険の約款は各保険会社により様々です。
そのため、実際に人身傷害保険の保険金を請求する場合には約款の内容を精査して被害者がより多くの賠償を受けられる方法を検討する必要があります。
*本記述は平成29年9月21日現在における状況を前提としております。
人身傷害保険に関するQ&A
Q 人身傷害補償保険とはどのような保険なのでしょうか。
A 急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を負った被害者が、自ら保険会社と契約した保険契約に基づき「加害者の賠償責任の有無にかかわらず」保険会社から、人身傷害保険にかかる約款で定められている損害額算定基準に基づいて算定された損害額相当の保険金の支払いを受けることが出来るという保険です。
ポイントは「加害者の賠償責任の有無にかかわらず」約款で定められた計算式に従った金額が支給されるところにあります。
Q 人身傷害補償保険が、加害者の賠償責任の有無にかかわらず支給されるとはどういう意味でしょうか。
A 民法上の加害者に対する賠償請求は、相手方に過失が認められることが原則です。交通事故に対する加害者、被害者の過失の割合によって、最終的な賠償額は調整されることもあります。
これに対して人身傷害補償保険は、民法上の加害者の責任とは無関係に過失相殺も考慮されずに保険契約の約款に基づいて計算された金額が被害者に支給されることになります。もっとも、民法上の不法行為に基づく請求として認められる金額全額が認められるわけではなく、あくまでも保険の約款に記載された算定基準によって計算された金額が支払われることになります。
Q 私が契約している保険は人身傷害補償保険が付されています。この度交通事故に遭いましたが加害者に先に請求すべきでしょうか。それとも私の保険会社に人身傷害補償保険の請求をすべきでしょうか。
A 加害者から賠償を先に受けた場合と人身傷害補償保険からの保険金を先に受けた場合とで、被害者が受け取れる最終的な賠償金が増減する結果は好ましくないため結論としてはどちらを先に受け取っても同じ結論になるように解釈されるべきと考えます。
しかし、実際には人身傷害補償保険から先に支給を受けると、保険金を支払った保険会社が自賠責保険から回収をしたためその後の処理が複雑になるケースや、被害者の人身傷害補償保険の請求に制限をかける合意書への署名を要求されるようなケースもあります。
したがって特別な事情が無い場合、加害者に対して請求をするのが原則的対応になると思います。
Q 人身傷害補償保険に基づいて支給される保険金は、加害者に対して請求できる金額に影響を与えないのでしょうか。
A 人身傷害補償保険は、いわゆる実損填補型の保険です。この保険に基づいて支給される保険金は、加害者に対する賠償請求に影響を与える(その分減らされる)可能性があります。なお、加害者に対する賠償請求が過失相殺によって減殺される事案について、人身傷害補償保険が事実上加害者に対する賠償請求とは別にその相殺分を補填する結果になることがあります。
Q 人身傷害補償保険が支給されても、加害者に対する賠償請求権が減らないケースというのはどのようなケースなのでしょうか。
A 人身傷害補償保険に基づいて保険金を支払った保険会社が、被害者の加害者に対する賠償請求権を代位取得する範囲において、被害者は加害者に対して有する賠償請求権を喪失することになります。そして、人身傷害補償保険に基づいて被害者に保険給付を行う保険会社は、訴訟で認定された被害者の過失割合に対応する損害額を、既払いの人身傷害補償保険金額が上回る場合に限り、その上回る額についてのみ、被害者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得します。
つまり、被害者が過失相殺を理由に裁判上加害者に対して請求できない金額の範囲内において人身傷害補償保険が支給される場合、被害者は加害者に対して裁判上請求できる金額を減らされないことになります。
この記事を書いた人
弁護士法人江原総合法律事務所
埼玉・越谷地域に根差し、交通事故に豊富なノウハウを持つ江原総合法律事務所の弁護士までご相談下さい。交通事故分野における当事務所の対応の特徴は、「事故直後」「後遺症(後遺障害)の事前認定前」からの被害者サポートです。適切なタイミングから最適なサポートをいたします。